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大阪高等裁判所 昭和26年(ネ)1211号 判決

第一二〇二号控訴人・第一二一一号被控訴人(原告) 溝口光治

第一二〇二号被控訴人・第一二一一号控訴人(被告) 株式会社名村造船所

主文

原判決を左の通り変更する。

被告は原告に対し、金八万九千九百三十四円三十七銭及び昭和二十五年六月二十二日以降右完済迄年五分の割合による金員を支払うべし。

原告その余の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じてこれを四分し、その一を被告その余を原告の負担とする。

事実

原告代理人は、第一二〇二号事件につき原判決を取消す被控訴人は控訴人に対し金三十八万四千円及びこの内金二十八万円に対しては昭和二十五年六月二十二日からその他に対しては昭和二十六年五月三日から右完済迄年五分の割合による金員を支払うべし訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とするとの判決を、第一二一一号事件につき控訴棄却の判決を求め、被告代理人は、第一二〇二号事件につき本件控訴を棄却する控訴費用は控訴人の負担とするとの判決を、第一二一一号事件につき原判決中控訴人敗訴の部分を取消す被控訴人の請求を棄却する訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とするとの判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、原告代理人において「原告が退職した昭和二十三年一月当時にあつては、被告会社の支給すべき退職金の算定基準は、基本給でなくその総支給額である。又原告は被告会社の工員より職員に昇進した際工員としての退職金を受領していないのであつて、かかる場合工員であつた期間が職員退職金算定の基礎である期間に算入されるか否かについて明文を欠くため多少疑いがあるが、工員より職員に昇進した者が退職する際工員であつた期間の分は工員退職手当規程により、更に職員となつた以後の分は職員退職手当規程により各別に支給すべきものとすれば、工員であつた期間の退職金は既に消滅時効完成して請求権を失うが如き不合理を生ずることがあるのみならず、本来退職手当の如きは一種の社会立法であるからできる限り労働者に有利に解釈すべきものであつて、原告が工員として就職した時より起算しこれを職員在職期間中に算入すべきである」と補述し、被告代理人において「原告がその主張の如き事情によつて被告会社を退社したとしても、これは原告の責に帰する理由により退職したと認むべきであつて、被告会社の都合により解雇したものではないところ、当事者間に争いなき被告会社の職員退職手当規程によれば自己の便宜により退職した者は勤続十五年以上でなければ退職金を支給せられないのであるから、原告にはこれを請求する権利はない。尚被告会社は昭和二十三年五月十一日原告に対し原告が同年一月末以来無断欠勤し、会社側よりの出勤勧告にも応じないことを理由として懲戒解雇の意思表示をしたのであつて、かかる場合退職金が支給せられないこと勿論である。仮に被告会社に退職金支給の義務があるとしても、退職金の算定基準が基本給料であること及びその勤続年数は職員となつた時より起算することは前記規程上明白であるから、原告の退職時における基本給は一ケ月六百十円であり、その在職期間は原告が職員に昇進した昭和十五年八月一日以降の年数によるべきであつて、原告主張の如く当時の総支給額を基準とし且つ工員として就職した時より起算すべきものではない。原告は右総支給額を一ケ月八千円であると主張するが、これには賞与金税額をも加算しおり不当である」と附陳した外、原判決事実摘示と同一であるから、茲にこれを引用する。(立証省略)

理由

原告が昭和七年十月被告会社に工員として就職し、同十五年八月一日職員たる技手に昇進して同二十三年一月二十九日迄出勤していたが、翌三十日より被告会社に出勤しなくなつたことは、当事者間に争いがない。

そして、原審並に当審における証人大国新三郎の証言及び原告本人訊問の結果を綜合すれば、昭和二十三年初頃は電力事情悪化して停電が多かつたため、被告会社においては原告の担当する旋盤は石油発動機を使用して運転する状態であつたが、右発動機の始動は容易でなく原告の努力にも拘らず円滑に行かなかつたところ、被告会社の取締役会長名村源は別にその係員があつたのに拘らず右発動機の始動作業の不首尾を専ら原告のみの責任なりとして、同年一月二十九日被告会社の朝礼の席上多数の工員職員等の面前において、原告を列前に呼出して叱責し「技手とか職員とか云つてよくまともに歩いているな」或は「そのような無責任な者は職長でも技手でもない」等と原告を痛罵したので、原告は甚しく名誉信用を毀損せられたものとしてその場にいたたまらず即刻退去して自宅に引籠り翌日より被告会社に出勤し得なかつた事実を認めることができ、更に前掲各証拠に成立に争いない甲第二号乃至第四号証並に乙第二号証及び原審証人田畑巖の証言を参酌すれば、原告は被告会社に入社して以来既に工員として七年十ケ月、技手に昇進して七年六ケ月合計十五年四ケ月間を誠実に勤続した者であつて、前示の如く自己の部下工員その他女事務員等多数の面前において痛罵せられたため部下へのしめしもつかなくなり、罷めよと云われるよりもつらいと無念がつていたが、その後同年十月頃に至り原告は生活に困窮し「昭和二十三年一月被告会社を退社」との履歴書を作成提出して大阪造船所に勤務することとなつた事実、並に被告会社の会長である前記名村源は従業員に対し時に極めて過酷であつて、従来も再び出勤し得ないが如き態度を示しこれがため退職するの已むなきに至つた従業員の事例がある事実を窺い得るのであるが、右認定に反する原審証人中須広喜同平野芳太郎及び当審証人横川八百治郎の各証言部分は信用しないから、以上の各事実によつて見れば、何人にても通常かかる場合に当つては著しく名誉信用を失墜せられ人格を毀損せられてその勤務を継続し得ないこと当然であつて、前記名村源は原告をして再び出勤し得ずして退職するの已むなきに立至らしめたものと云うべく、結局被告会社がその都合により昭和二十三年一月末を以て原告を解雇した場合と認定するを相当とする。尤も、甲第七号証の一、二によれば原告は同年二月分の給料を受領している如くであるが、当時施行せられている労働基準法第二十条第一項により使用者が三十日の予告なくして労働者を解雇せんとするときは三十日分以上の平均賃料を支払うことを要すのであるから、右二月分の受領は何等前記認定を左右するものでない。又乙第二号証(履歴書)には昭和二十三年一月家事の都合により退社との記載があるが、前掲原告本人訊問の結果に徴すれば原告が大阪造船所に就職の便宜上作成提出したのに過ぎないことを推察できるのであるから、右記載を以て原告が被告会社より解雇せられたとの前記認定を覆えす資料とはなし難い。尚原告代理人は、その後被告会社より原告居住の社宅明渡を請求して解雇の意思表示をし原告においては昭和二十五年六月二十二日被告到達の本訴状を以てこれを承諾したから原被告間の雇傭契約は同日限り合意解除せられた旨主張するが、前記認定に照し右主張は認容できない。

被告代理人は、原告の右退職は原告の責に帰する理由によるものであつて自己の便宜により退職したのであるのみならず、その後被告会社より原告に対し再三出勤勧告をしたが応じなかつたため昭和二十三年五月十一日被告会社は原告の無断欠勤を理由とし懲戒解雇をしたと主張するが、前段認定の各事実によれば、原告の右退職はその責に帰する理由によるものでなく、却つて被告会社側の不当行為により原告をして出勤し得ない状態に陥し入れたこと明かであつて、前記認定の日時に原告を解雇したものと見るべきであるから、その後に至り被告会社より出勤勧告を試み且つ無断欠勤を理由として原告に対し懲戒解雇の意思表示をしたとしても、何等の効力をも生ずるものでない。ところで、成立に争いない乙第一号証(甲第一号証と同じ)及び前掲証人平沢弘の証言によれば、被告会社には職員退職手当規程があつて当時退職職員に対してはこの規程に基き退職金が支給せられていたが、右規程に従えば満五年以上十年未満誠実に勤続した者を会社の都合により解雇したときは、退職当時の基本給料に勤続年数の二、五倍を乗じた金額を退職金として職員退職後遅滞なく支給し、勤続期間の計算は職員雇入の月より起算し勤続期間一年未満の端数は月数を以て計算すると定められていること明かであるが、原告は上来説明の如く右に所謂被告会社の都合により解雇せられたものと認むべきであつて、昭和十五年八月一日職員となり同二十三年一月末の前記解雇に至る迄七年六ケ月間誠実に勤続していたのであるから、被告会社は原告に対し右規程に従い退職金を支払うべき義務あるものと云わなければならない。

よつて、その退職金額について考察するのに、その算定基準につき前掲証人平沢弘の証言の一部によれば、当初右規程に所謂基本給を以て基準として算定していたが、その後物価騰貴により諸手当が漸次増額せられて基本給との比率が二倍以上に達するに及び僅少なる基本給を基準とするのは退職者のため不利益となることからこれを保護する目的の下に、右規程を書改めずして便宜右基本給に諸手当を合算した金額を基準とし算出する取扱に変更せられ実施せられている事実を認めることができるが、成立に争いない甲第七号証の一、二に徴すれば、原告はその退職当時である昭和二十三年一月においてその基本給六百十円及びこれに数倍する諸手当以上総計四千七百九十六円五十銭を支給せられていたのであるから、右金額に勤続年数七年六月の二・五倍を乗じた八万九千九百三十四円三十七銭(以下切捨)が原告の退職金であること計数上明白である尤も前掲証人平沢弘は昭和二十三年中は基本給を以て基準としていた旨証言するがこの部分は同人の前示供述と矛盾し信用し難く、その他この点に関する原審証人中須広喜同平野芳太郎の各証言は採用しない。

原告代理人は、当時原告は一ケ月八千円の支給を受けていたと主張し、原告本人訊問の結果によれば右に符合するが如き供述が存するけれども、前掲書証に対比し信用できずその他何等の証拠もないから、右主張は理由がない。

更に原告代理人は、右勤続年数につき、原告は被告会社の工員より職員に昇進した者であるがその際工員としての退職手当を受領していないから、工員であつた七年十ケ月は本件退職金算定の期間に算入せらるべきものであると主張するが、前掲乙第一号証を見るに、勤続期間の計算は職員雇入の月よりこれを起算する旨規定せられており且つ工員より職員に昇進した場合に関しては全く明文を欠くのであるから、本件においては原告が職員たる身分を取得した月より起算すべきであつて、工員在職の期間をこれに加算することは許されないものと解する外はない。これがため工員退職手当を請求し得ず労働者の保護に欠くる場合が生ずるとしても、何等かの規定がない限り当然に工員の期間が通算せられると断定することはできないから、右主張も認容し難い。

さすれば被告会社は原告に対し前記八万九千九百三十四円三十七銭及びこれに対する本訴状送達の日の翌日であること記録上明かである昭和二十五年六月二十二日以降右完済迄年五分の法定利率による遅延損害金を支払うべき義務あること勿論であるから、原告の本訴請求は右の限度において正当であつてこれを許容すべきであるが、その余は失当として棄却すべく、原判決を右の通り変更し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第九五条第九二条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 三吉信隆 萩原潤三 小野田常太郎)

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